朝8時過ぎにホテルを出て、10分前には本塩釜駅に到着した。今日は天気が晴れで、かなり日差しも強く、電車を待っている時間は暑かった。8時18分快速が到着した。ほとんど空いていた。そのため、余裕で座る事が出来た。さすがに休日なので、子供連れや家族でいるのが多い。中には、駅弁を食べている人もいた。すごいものである。ロングシートではさすがに抵抗してしまう。
本塩釜駅を出ると、海が見え始めてきた。東塩釜では減速して通過した。2面3線の駅で、すでに仙台行きの普通列車が停まっていた。ここが始発の列車であろう。車庫には、103系が1編成あった。東塩釜を抜けると、今まで複線だったのだが、ここで単線になった。スピードが上がったが、すぐにまた減速をした。このあたりは、平坦な路線ではなかった。山が、いくつもあり、トンネルをくぐったりしていて、スピードもあまり上がらなかった。短いトンネルを抜けると、そこが松島海岸駅であった。
駅の改札を抜けると、遊覧船の案内をしていた。すぐのところに切符売り場があり、遊覧船の切符を購入。港まで歩いていく。広場になっている所から歩いていくと、海が見えていた。天気も良いし、波もなく、穏やかな日であった。10分ほどで船乗り場に到着。すぐに切符を切ってもらい、船に入っていく事にした。まだ出発まで20分近くあったが、乗車してくる客は鈍かった。さすがに朝9時の始発便は、少ないのであろう。
出港時間になると、普通席は、海側の席が全て埋まるほどの乗車率となり、そこが取れなかった乗客は、2階にあるグリーン席へと移動していった。かなり余裕の乗車率で出港した。船はいったんバックして、進む。さすがに波もあまりないため、揺れもなかった。途中で、かもめにえさをやることにした。早速デッキに出て、えさを与える。なかなかかもめもキャッチしてくれず、海の中に落ちたえさを食べてばかりだ。中盤に来ると、波も次第に高くなり、船も揺れるようになった。手すりにつかまっていないと、かなり振られる感じだ。かもめは2階席の方のえさはキャッチするが、1階席ではキャッチしてくれなかった。えさを与えるのを終えてから、再び席に戻り、海や松島を眺めた。終点に近づくと、かもめも急に姿を見せなくなった。やはり、かもめも理解しているのであろう。わずか40分近くの船旅であったが、充実した船であった。
次の出発便の客を見ると、恐ろしいほど並んでいた。さすが10時という時間帯は、ベストなのであろう。早く来て大正解であった。しかも列はかなり並んでいた。この調子だと敗北者が出るのではないか?と思うほどであった。もちろん座れない事である。その後は、寺などを巡ったり、土産屋で時間をつぶし、11時過ぎに松島海岸駅に戻った。
松島海岸駅は、1面2線の駅であった。11時28分発であるが、ここで反対列車と行き違う為か、石巻行きが先に到着した。ここで、かなり降りて、50%の乗車率であった。しばらくすると、仙台行きの方が来た。向こうは、結構な混み具合であった。塩釜や多賀城でさらに混雑するのであろう。11時28分に発車した。山側の方に東北本線が見えていたが、しばらく走行すると、離れていった。すると、高城町に到着した。
高城町から野蒜駅までの間は、海沿いを走る区間であった。特に、通過駅の陸前大塚駅は、本当に海に近い駅であった。青海川と同じように、海に近いベスト駅に入るのであろう。ここも1面2線であった。快速のスピードはすごく速かった。単線になっても速度は全く落ちず、速いスピードを維持している感じだ。野蒜駅からは、海も離れていき、田んぼばかりの風景へと変わっていった。矢本でも降りる客は少なかった。終点の石巻には、11時55分に到着した。
さすがに、都市である。駅前には、コンビニ、駅そば、それにデパートまであり、食には困らない駅であった。ここで、昼飯を確保して、石巻線のホームへ向かう。ここ、石巻駅は電化区間の仙石線が1面2線、非電化の石巻線が2面3線の駅であった。石巻駅の手前で双方のレールはつながっていたが、乗り入れる事はないであろう。すでに次に乗る女川行きは、停まっていた。
女川行きは、キハ48系で1−2のボックスシートであった。さすがに、混雑もしておらず、快適な車内であった。驚いたのは、キハ48系なのに、洋式トイレである事。さすがに改造車であることがわかった。車内で、昼飯を取った直後、12時26分出発した。
さすがにキハ48系で、加速は遅かった。しかも速度もあまり出していなかった。しかし、これだけゆっくり走っていると、ローカル線に乗っている気分になる。万石浦、沢田、浦宿駅では、海が見えていた。終点の女川には、12時54分に到着した。女川駅は、1面2線の駅であった。このまま折り返し、小牛田行きになるので、そのままの席で座っていた。とりあえず、駅名だけを撮った。ここは、無人駅であった。わずか7分後の13時01分、慌しく発車した。
はじめのうちは、ガラガラであったが、途中の駅から、中学生だろうか、それくらいの年齢の乗客が乗り込んできた。さすがに、半分は言葉の意味の理解ができるが、やはり、自分にはわからない言葉を言う事もあった。しかし、ほとんどが石巻駅で降りてしまい、ガラガラになってしまった。すぐに出発した。
石巻からは、方向を変えて、内陸へと進んでいく。仙石線と離れ、しばらくいくと、市街地が途切れてきた。一面に田園風景が広がった。気仙沼線が寄り添うと、分岐駅の前谷地駅に到着した。ここは、2面3線の駅で大きかった。反対列車行き違いの為、5分ほど停車した。気仙沼行きのキハ48系が来た。向こうもあまり混雑していない。気仙沼行きとほぼ同時に発車した。右に東北本線が寄ってくると、終点の小牛田駅に着いた。小牛田駅は2面4線の駅であった。このまま折り返しになるのかと思ったが、車庫に引き上げていった。すぐに陸羽東線のホームへ向かう事にした。
陸羽東線のホームでは、キハ110系の2両編成で停まっていた。1−2列のセミクロスシートで一番ベーシックな座席であった。小牛田駅を撮ろうとしたとき、気動車区が見え、それも一緒に写真に撮った。キハ110系には、いろいろな色の種類があることに驚いた。黄色や赤などさまざまであった。14時27分、乗客は少ないまま、小牛田駅を離れた。
陸羽東線も田園風景の中を走る平坦な路線であった。約12分で新幹線接続駅の古川駅に着いた。1面2線の長いホームであった。ここで、新幹線の乗換え客を待つ為なのか、18分も停車した。その間、降りる客が多かったのだが、発車時間が近づくにつれ、さらに乗客が乗り始めてきた。そのため、立ち客まで現れた。古川駅も新幹線がある駅だからか、かなり都会になっていた。小牛田よりは、都市としては上であろう。
14時58分に出た。古川市内なのか、しばらくは町並みが続いていた。やはりローカル線の典型で、徐々にお客は減っていく。有備館駅にくると、町並みが途切れ、田園風景へと変わっていき、山並みがはっきりと見えてきた。鳴子温泉に近い川渡温泉にくると、乗客もほとんど消え、山へと入っていく。15時42分、終点の鳴子温泉駅に着いた。さすがにこの沿線の中では大きな温泉街であった。鳴子温泉駅も立派な建物になっていた。2面3線の駅で、すべて列車で埋まっていた。小牛田行きの列車がすぐに発車した。
3番線には、新庄行きのキハ110系の2両編成、先ほどと同じ編成で停まっていた。さすがに、乗りかえる客の量も少なかった。4分後の15時46分に離れた。すぐにトンネルに入る。さすがに山深い為か、キハ110系でもスピードは鈍い。赤倉温泉を過ぎると、山からしばらく離れるようになった。最上駅に来ると、山間の町という雰囲気であった。ここで、数人が乗りこんできた。しかし、この駅しかたくさん乗り込んでくる事はなかった。
この陸羽東線はさすがに温泉の名がつく駅が多かったが、ひなびた温泉と言う感じだ。駅名の案内板でも共同浴場の数がそんなに多くなかった。長沢を過ぎると、田園風景がまた広がってきた。このあたりにくると、スピードも上がり始めてきた。南新庄の手前で、奥羽本線と平行して走り、南新庄に停まる。だが、新庄と言ってもこのあたりは、まだ町並みは、ほとんどなかった。そして、終点の新庄には、16時46分に到着した。新幹線のホームには、400系の「つばさ」が待っていた。
すでに、一番線には、東京行きの「つばさ」が停まっていた。5分接続と余裕もあまりないので、駅をうろつく事は出来ずに、すぐに指定されている席に行くことにした。自由席をチェックすると、禁煙の方は、ほぼ窓側がほとんど埋まっていた。しかし、喫煙の方を見ると、半分くらいはまだ埋まっていなかった。やはり、喫煙の方は人気がないようだ。そして、14号車の指定席に入ると、シートの色が自由席は青なのだが、指定席は赤であった。しかもシートピッチが98センチと自由席よりも7センチ広い。かなりゆったりしていた。しかし、観察する余裕もほとんどなく、16時51分定刻に「つばさ」は出発した。
指定された番号は、13番であった。席に座ると、助かった。窓かまちに邪魔されない席であったのだ。東京行きの場合は、奇数席が、山形行きの方は、偶数席が窓かまちに邪魔されない位置であった。指定席の乗車率は、新庄からはさすがに満席近くになることはなく、ほとんどガラガラであった。400系もE3系に負けずにスピードは速かった。新庄を過ぎてからは、平坦路線ではなく、山が多い所を走行している為、トップスピードまではいかなかった。村山を過ぎると、山が離れていき、平坦な路線に戻った。そうなると、スピードも130キロ走行を始めた。天童駅に着くと、団体客が乗りこんできて、半分くらいの乗車率となった。さすがに、騒がしかった。さすがに盆地なのか、スピードを落とす事が少なかった。17時34分山形に到着した。ホームには、自由席や指定席含めてたくさんの乗客が並んでいた。かなり混雑するのであろう。
案の定、山形で指定席もほぼ満席となった。今までの大石田、村山、さくらんぼ東根などでは、ほとんどの乗降客がなかったため、山形の集客力は大きいと感じた。2分ほど停車して山形を後にした。約30分前に山形始発の「つばさ」があっただけにこの乗客の量には驚いた。次の停車駅は米沢、かみのやま温泉や赤湯などを通過するから、乗客はこれからは増えないであろうと思った。すでに日も暮れて、夜が支配し始めた為、景色があまりはっきりと見えなかった。だが、平坦な路線を走っていると感じた。スピードがトップであるから。車内販売がきた。団体客が弁当を注文している所を見ると、積み込みがあるのだろう。それを期待して、待つことにした。18時06分、山形から約30分で米沢に到着した。すでに寂しい駅となっており、駅弁売りの姿も見えなかった。指定席は全く乗る人がいなかった。自由席は数人の列があったため、かなり混雑しているのであろう。敗北者はいるのであろうか?そんな事を気にする事がない、指定席では様子をうかがうことは出来なかったが…。
米沢を発車し、しばらくすると、駅弁を持ちながら車内販売の売り子が来た。案の定、確保する事に成功した。米沢牛の弁当であった。それを食べながら、これから駆け下る板谷峠を見ていた。さすがに暗いため、どこを走っているのか分からなかったが、電光板の案内には、板谷峠のスイッチバック跡のことを流していた。途中の駅で、シールドに覆われた駅を見る事が出来た。今は駆け下っているのであろう。スピードも遅くなっていた。米沢を過ぎて30分になろうとしたときに、庭坂にきた。このあたりから、福島市内の町並みの夜景が見えた。そこに向かって駆け下っているのがすごく分かった。新幹線や在来線の長い乗換え案内の放送が終わる頃に、東北新幹線と合体する高架橋にさしかかり、東北新幹線の線路とくっついた。そして、福島に18時40分に到着した。ここで、先行していた「MAXやまびこ」と併結した。連結の衝撃はあまり大きくなかった。さすがに485系の連結よりは安心だった。福島駅では、指定席は降りる人や乗る人はほとんどいなかったが、自由席から降りる人を数名見かけた。
18時42分福島を離れた。加速は今までとは変わらなかった。ポイントをいくつか渡る為にスピードも余り出ていなかった。ポイントを渡り終え、本線に戻ると、一気に加速し始めた。音も先ほどの在来線とは違い、すこしモーター音は大きかった。さすがに新幹線区間に入ると安定した走行に変わる。なかなか惰性運転に入らず、ずっとノッチを入れっぱなしで走行していた。まだ最高速の240キロに達していないのであろうか?
走行し出して、5分以上経過してから、やっと惰性運転にはいった。さすがに240キロのスピードは速かった。先ほどと比べたら、まるで、別世界と言った感じだ。次の大宮まで一時間以上も無停車であるから、ロングラン走行である。最も、次の東京から名古屋間の方が走行時間は長いのであるが…。いくつかのトンネルを抜けると、市街地が広がってきた。どうやら郡山市街地にきたみたいだ。あっという間に、郡山駅を通過した。しばらくは、郡山の街中を走っていく。次第に、市街地から遠ざかると、一気に外の景色が真っ黒になってしまう。そうすると、トンネルに入る。新白河を通過し、那須塩原辺りに来ると、もはや山は見えなくなったのか?トンネルに入ることはなかった。宇都宮に差し掛かると、もはや首都圏と言った感じで、一面が市街地になっていた。そこを240キロで走る為に、飛ぶように景色が飛んでいく。小山を過ぎ、大宮が近づいてくると、速度が一気に落ち始めた。いよいよ首都圏の中に入るのである。約1時間後の19時50分に大宮駅に到着した。さすがに、乗り込んでくる人はいないようだ。指定席からも数人が降りていった。
すぐに発車した。ここからは、先ほどとは違い、速度を落としながら走行していた。都心部だから、このように遅いのであろうか?でも、並行する埼京線の電車を次々と抜かしていく。赤羽を過ぎ、京浜東北線や山手線などが見えてくると新幹線も地下へのトンネルに入り、しばらくすると、上野に到着した。ここで、半分以上の乗客が降りた。隣のホームには、満員になっている長野行きのE2系の「あさま」、反対側のホームには、E4系のMAXが停まっていた。すぐに上野駅を出た。トンネルを出ると、もはや周りはビル郡が建ち並んでいた。すぐに案内放送が流れ、東京駅終点を告げた。20時16分定刻に到着した。今回の旅で一番長く乗車した列車であった。すぐに、東海道新幹線のホームへ向かった。
満員の階段を急いで降りて、新幹線乗り換え口へ急いだ。自動改札に帰り券を入れて、通過しようとしたとき、いきなり閉じてしまった。おかしいと思い、駅員に聞いてみると、今まで乗ってきた特急券と、乗車券と次に乗る新幹線の特急券と3枚同時に入れるという事を教えてもらい、急いで、精算所へ行き、新幹線特急券を購入し、自動改札を通った。今度は、うまく通った。よく見ると、自動改札で、処理しているようであった。そういえば、山形新幹線でも、山形から乗車した客は、車内改札をされてなかった。途中の駅からの人だけをチェックしていたので、自動改札で、乗客をチェックし、そこに当てはまっていない乗客だけを車掌が改札するのであろう。いつのまにか、このようになっているので、驚いてしまった。
すぐに15番線に向かう。まだ次に乗る「ひかり」は停車しておらず、回送電車が止まっていた。自由席の乗り場があるところまで歩いていくと、5号車や4号車は、かなりの列を作っていた。先頭に行くに従って、遠いのが面倒なのか、だんだんと乗客は少なくなっていく。一番前は、まだ2〜3人しかいなかった。そのため、1号車で待つ事にした。しばらくすると、離れたホームに500系の新幹線が到着した。さすがに、速さを象徴する形をしている。今度は、時速300キロの500系にも乗りたくなった。回送電車が出て、しばらくすると、1号車でも乗客が並び始めた。予定の入線時刻より遅れて、300系「ひかり」が到着した。
先頭の方に並んでいたので、好きな所に座れた。もちろん二人席を選ぶ。寄り安定感のある、車両真ん中を選んだ。かなり並んでいたようだが、新幹線の車両が大きい為か、かなり余裕があった。座席の間隔も広く、100センチは越えるほどの余裕もあり、足元もかなり楽である。先ほどの400系よりもピッチは楽である。こちらの方がまた車両も大きい。発車時間が近づくと、さすがに窓側の席はすべて塞がっていた。東海道新幹線のホームはどこか冷めた雰囲気を持っていた。大都会の駅だからであろうか、前の新庄や山形とは一つ違った雰囲気を見せていた。20時40分定刻に東京駅を離れた。
さすがに、首都である。スピードも遅かった。時々、京浜東北線や山手線、東海道線の電車に勝利をして、進んでいく。東京タワーが最後に見送ってくれ、スピードを少し上げた。だが、トップスピードまでは達しなかった。多摩川を渡り、神奈川県に入った。20時57分、新横浜に到着した。ここでも自由席の乗り場にたくさんの人がいた。でも、満員になることはなく、3列シートの真ん中の席だけが残っていると言う感じの乗車率で、50%くらいであった。すぐに発車し、今度は、減速ではなく、トップスピードまで上がり始めた。
トップスピードまで上げた新幹線は、さすがに早い。270キロがMAXの300系でも時速220キロなら、揺れる事もなく、安定走行をしている。小田原までは市街地を走っていたが、そこを過ぎると、三島辺りまでは、丹那トンネルを筆頭に多くのトンネルをくぐり、景色をあまり見せる事はなかった。明るければ、この辺りなら、海が見えるはずなのに…。三島を通過すると、山から離れて、市街地をまた走るようになった。21時半を過ぎた頃に、静岡を通過。あと1時間である。さすがに静岡市内に来ると、町もでかい。しかし、速度を落とさずに通過して行く。浜松を過ぎると、やっと地元に帰って来たと言う感じが出てきた。浜名湖を見る事もなく、過ぎていき、22時過ぎに豊橋を通過。やっと愛知県に戻ってきた。名鉄を見ると、本当に地元に帰って来たと言う思いが強くなった。
22時15分三河安城を通過。もはや、市街地が広がっていた。もう濃尾平野だ。三河安城を通過してしばらくすると、車掌から、「まもなく名古屋です。電車は定刻通り三河安城を通過しました。」と案内があった。確かに、1時間半以上も無停車でロングランしている為に、このような案内がないと不安になるのであろう。これは、この区間でしか放送しないのであろう。他の所だと、ロングランと言っても1時間以内である。笠寺を過ぎると、速度が遅くなってきた。もう名古屋に到着である。22時33分かなりの乗客が名古屋で降りた。自由席は3割くらいしか残っていなかった。遅い時間のためか、乗る乗客も少なかった。新幹線は、すぐに名古屋駅を離れていった。今回は行程的にはかなり楽な方であった。名古屋駅に着いたときには、次はどこへ行こうか、とすでに考えているのであった。